日々禄

読書禄や日々禄

向田邦子氏について

私は向田邦子氏が好きだ。

 

彼女の書を読む人は、懐古主義ではないかと思う、というか私がそうである。

昭和は決して良いことばかりではなかったであろう時代だが、その生活を掬い上げ、

儚くも力強い日々の生活を、文章の中に留めている。

 

向田邦子氏は比較的に幼少から裕福な人生を送ったとも思うが、

昭和の現在と比較すると圧倒的な物資の乏しさ・貧しさの中で、

現代では失われつつある豊かさを描いている。

 

 

 

今、半径50㎝以内にある向田邦子氏の書は

 

・「女の人差し指」 向田邦子 書

 

台湾航空機事故でなくなる前に最後に書いたエッセイである

 

 

 

・「向田邦子の恋文」 向田和子 書

 

向田邦子氏が亡くなって、20年ほど。

妹である向田和子が、遺品の茶封筒を開封した。

そこにあった、向田邦子氏と恋人との生々しい手紙のやりとりと、恋人の日記である。

 

こちらすでに故人であり承諾の取れない向田邦子氏の手紙や、故人の恋人N氏の日記を公開してしまっていいのか、

不倫関係であったようだが、本人がひた隠しにしていた関係を公にしてしまっていいのか、といった批判もある。

私も「え、こんなの公開されちゃっていいの?」という気持ちになった。

しかし、邦子氏を知る上で貴重な資料と感じる。

 

・「向田邦子 ベスト・エッセイ」 向田和子 編

 

いうまでもなく、向田邦子のベスト・エッセイ集である。

「手袋をさがす」は深い自己洞察と決意の文章か。

向田邦子は他人を観察するだけではなく、自己を洞察し続けた人なのであろう。

 

 

他に「寺内貫太郎一家」他、小説も読んだ。

しかしも脚本家が本分のせいか、小説というより脚本に近い印象が強く、

私が入り込めなかったため、読んだのはエッセイを中心となる。

 

向田邦子氏のポートレートは鋭く、印象的な瞳、ファッションはお洒落で、

チャーミングな女性である。

あんな素朴だけど決めたポージング、私は勿論できないが、真似したい。

 

向田邦子の恋文」によると、

向田邦子ポートレートは故人である長きに渡って付き合った、秘められた恋人N氏によるものであったのは、後から知り驚いた。

「なぜこんな印象的な瞳なんだろう」といった自分の思いが、繋がった。

 

ファッションも勿論素敵だ。

手編みの服、手作りの服や帽子。

今でも着たいと思うような、シルエットにあった似合う普遍的で可愛い洋服。

欲しい服もないからと、無難な既製品を買ってしまい、おしゃれをあまりしない私は、驚いたであった。

物のない時代という背景も勿論だが、自分で欲しい物を労を惜しまず、作成している。

私の「着たい服がない」というのは、単に怠慢なのだ。

周りのせいにせず、作るべきなのだ。

とも思ったが、めんどくさがりなのでできない。

せめて手作りのマフラーでも作ってみようと思う。

 

向田邦子が今の時代に生きていたら、どんなファションをするのであろうか。

全身お気に入りのインポートブランドで固めるのだろうか、

はたまたビンテージにはまるのであろうか・・・

そんな空想をする。

 

何より向田邦子氏の考え方や生き方を見習いたいのだろう。

向田邦子氏は明るく、人を放っておけず、家族を立てることを忘れず、

強い力を持って生きていた。料理も好きで得意だった。

 

家を買えば後から付いていると、青山に伸びをしたマンションを購入し、

衣食住にこだわり、猫が好きな人であった。

 

向田邦子氏の言葉である

 

「我が家はでこぼこがあったり、隙間風が吹いていたり、いろいろある。だから考えたり、知恵を絞ったり、いたわりあったりする。そのなかで、気付かされたり、教えられたり、人のいたみをわかったりしていける。何もなかったら、気づかないで終わってしまうかもしれない。そんな風に考えると、あまりイヤなことないでしょ。何事も考え方や気の持ちようでプラスになるし、プラスにしていけるから面白いんだし、楽しい。この家に生まれたのは、運がいいのよ。それを活かさなくちゃ・・・」

 

出典:「向田邦子の恋文」向田和子書

 

 

 

反面、生涯独身として過ごし、「向田和子の恋文」を読んだ後など、

どことなく寂しさも感じる。

私自身の生き方はもう35歳になったが、まだわからない。

いつでも模索していくのであろうと思う。

 

そしてー私は決めたのです。反省するのをやめにしようーと。

(中略)

本当に心のそこから反省して、その結果を実行にうつしている人もいるでしょう。しかし、私の反省は、ただのお座なりの反省だったのです。

それくらいなら、中途半端な気休めの反省なんかしないぞ、と居直ることにしようと思ったのです。魂の底からの反省、誰も見ていなくても、暗闇の中にいても、恥ずかしさに体が震えてくるような塊根がなくて、何の反省でしょうか。日記に反省したと記しただけで、眠る前の、就眠儀式のための反省など、偽善以外の何者でもない、と思ったのです。

 

引用:「向田邦子 ベスト・エッセイ」 向田 和子編

 

 

 

 

私には探している手袋はなく、いつでもすぐ無くすから、

100円均一の手袋でいいかという按配。

邦子氏のようにこだわりはなく生きているが、物の多い時代、

物にこだわらないというのもこだわりの一つなのかもしれない。

 

よき生き方とは何か、幸福とは何か。

時代に合わせて変わっていくものもあるが、

まだ私自身探せてない、普遍的な大切なものが、

向田邦子氏の本の中では見えてくる気がするのである。

私の探している手袋とは、そういった普遍性なのかもしれない。